無意識が見える時

今日は、少し前に起きた出来事からネタを頂きました。

私の体験談は大した事ではないのでいいとして。

 

いつも私が凄いなって思っている事なのですが、他人や自分の「無意識が見えた時」です。

いい意味でも悪い意味でもアドレナリンが放出されてしまいます。おーっ!

 

「無意識」は人の本音。という考え方だと思いますが、他人の無意識を見た時って、

ゲラゲラ笑える事ならいいのですが、不快になる事もありますよね。

例えば、「微表情」。 抑圧した本心がほんの一瞬、1秒もないスピードで表われて消えるそうです。

私はこの「微表情」を読めた時に「なるほど!あぁ~この人はあの人にこんな感情を抱いているんだ」

とか、「あ、私の事嫌いなんだな」と一人で納得しています。ニヤ

最近では人と対面する機会も減ったので、残念ながらないですが・・・。

 

ですが、不快になるような相手の本音を垣間見た時は、逆に本音を教えてくれてありがとう。って思うのがいいのかなって思います。

中々できないかもしれませんが、そこを切り替えるスイッチを自分に作ると人間関係で悩むことがグググっと減ると考えています。

私の場合、このスイッチを自分に搭載したら、苦手な人は自分の前からいなくなっていきました。にやり

この「スイッチを作る」。という事については、また次回にお話ししましょう。

 

さてさて、「無意識が見える」。と言えば「錯誤行為」。

錯誤行為とはフロイトが精神分析の研究の中で唱えたもので、無意識を見える化したもののひとつです。夢や神経症も無意識を見える化したものです。

錯誤行為には、言い間違い、書き間違い、聞き間違いなどのミスがあります。

単なるうっかりミスと思うなかれ、実はこのミスの中にも無意識からの影響があるのだとフロイトは言っています。

錯誤行為は、自分が感じた、表に出してはいけないと思う感情に蓋をして、意識下ではもう忘れたと思っていた抑圧した感情が表に出てきてしまうのです。

言い間違いや書き間違い程度で、謝れば済む事ならまだいいのですが、あまりに抑圧しすぎると、心身に迄影響を及ぼしてしまうので、錯誤行為を起こした時は、そのままスルーするのではなく、自分の本音を一度確認してみた方が良いかもしれません。

また、社会生活をする上で、感情を抑圧する事なんてたくさんあります。

それを当たり前と思わず、日々、ノートやスマホのメモでもいいので、その日の出来事や大きく心を揺さぶられた出来事は言語化する事で、かなり感情を開放出来ると考えています。

今になって感じるのですが、私は小学生の時から日記をつけていました。

小さい頃は思った事を人に伝える事が出来ない子で、ある時、親戚の方からのプレゼントでカギ付きの日記帳をもらったのです。とっても嬉しくてそれがきっかけで毎日ではありませんでしたが、怒り、悲しみ、悔しさ、というネガティブな感情が湧いた日には書いていました。もちろんうれしかった出来事もです。

確か、当時の担任だった先生が日記をつけるといい。と言っていた言葉が記憶に残っていて、それもきっかけの1つなのかもしれません。

それが自分自身と向き合う事の始まりでした。潜在意識に刷り込まれた「自信のない自分」からの脱却の始まりでもあったと思っています。

 

実は、人は沢山の能力を持っていますが、生きていくための防御本能が命の危険にない場面でも働いてしまっている事で、今発揮したい実力を出し切れていない事の方が多いと思っています。

そしてまた、この無意識(潜在意識)は一筋縄ではいかない面倒なものなのです。アセアセ

ですが、正しく理解する事で自分の能力を更に発揮できるようになると私は思っています。

 

長くなったので、本日はここまでとして、次回以降で更に踏み込んだお話ができるといいな。と思っています。

 

年末の忙しい時期ですが、これからの寒波に自力で勝つためには心も体も最高の状態にしておきたいですね。ニコ

 

 

 

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