私は、20代に「樽前窯」という工房で、小崎彩秋先生から陶芸を教わっていました。
基本のキ、すら分からないド素人でしたが、時には厳しく、時には優しく、色々な技法を教えてもらいました。
当時ご指導いただいた小崎彩秋先生には本当に感謝しています。
そして、現在も陶芸家としてご活躍されている様でとても嬉しく思っています。
ですが、1年程でその地を離れる事になってしまった為、修行は終わってしまいました。
その後、関東での生活の中で、作陶をする機会に恵まれた事もありました。
先生からご指導いただいていた基本があったから、自由作陶も楽しい時間でした。
でも、当時から派遣で仕事をしていたため、契約満期で派遣先がかわったり、出産、育児で
趣味どころではなかったり・・・。
私の中でずっと温めていた「作陶への思い」がこのコロナ禍で溢れ出してきました。
このサイトは、本当はブログを中心に作ったものではなく、作陶するための活動として作りました。
今はまだ亀の歩みで、きちんと作業する場所も確保できていない状態の中、小さくても造る事で
勘を取り戻している最中です。
また、もう1つの理由として、色んな悩みや「生き辛さ」を抱えている方が、誰にも相談できず苦しんでいる。
私自身、自分の性格、娘の心を通して、望んでもいない方向に考えがいってしまう事を知り、
「人の心理」に興味を持つようになりました。
言葉では「自分はこうしたい」といいなが、では何故それを行動に移さないのか?
人の思考、心理、脳の仕組みについてとても興味を持ち、心理カウンセラーの勉強をしました。
カウンセラーとしてのお仕事はするつもりはありませんが、心に傷を抱えている時、芸術は癒しとなるのです。
そういう接点から、陶芸も癒しに繋がると思うので、心の問題とモノづくりは連動していると思います。
さて、今そういう思いに至っているのは、色々と模索中に、どうして「陶芸」なのかな?
と、考えていました。
すると、ふと閃いた?いや、思い出したのです。
子供のころから図画工作・美術の時間は楽しんでいました。(上手ではありませんが)
高校では、まだ自分が何が好きか嫌いかも興味が無い頃に、修学旅行で行った金沢で
「ろくろ体験」を代表でさせてもらう事になりました。
その時の、粘土の感触、緊張感と高揚感、電動ろくろでの作陶に初めて触れて、意味もわからず
言われるがままに手を動かしたにもかかわらず、もっとやりたい!という気持ちにさせられた。
その感覚が、ずっと忘れられずに残っていた。
だから小崎先生の工房へ行ったのだろうと理解しました。
その後しばらくは、表面的には忘れていたのですが、自分の時間の大切さを考えた時に「陶芸を習おう!」
と思ったのです。
それはきっと、あの時の感覚をもう一度体感したい。
自分の時間として使うなら・・・と考えた時に、心の奥深くに沈めていた思い。既にあった答えを思い出したのだろうと思います。
そうして「陶芸」から「陶器」という伝統工芸品を知り、昔ながらの伝統工芸品の素晴らしさを知り、
日本の正しい歴史や文化を見ていく事へと広がっていきました。
常に心の中に「作陶したい!」という思いを抱えながら、日々の生活を熟している現状ですが、
今出来る事から少しずつ進んでいけばいいかなと。
17歳の頃に感じた思いがこんなにずっと忘れられずにいる事にも私自身が驚いているのですが、
こんなに強い思いがあるのに、未だに届きそうで届かない事もこれまた不思議な思いでいます。
モノ創りは癒しになるというのは、心理学でも「芸術療法」という技法が確立されているので
確かだと思います。
心の奥底の思いを言葉にできない場合、「芸術療法」で表現できるのです。
そんなことも含めて、「モノ創り」が好きなのは自分の中の無意識な想いを表現できるからなのかもしれないと思う。
陶芸は特に自分を開放できる作業なんだろうと思います。
何か生き辛さ、ストレスを抱えている方には、是非「モノ創り」を始めてみる事をお薦めします。